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し と り じ ん じ ゃ

禰宜(ねぎ)の一考察コーナーspecial

○機織神・建葉槌命について
○大和(やまと)について
○平成8年に「倭文(しどり)」とみられる絹織物が見つかる


○機織神・建葉槌命について
 人が生活する上で欠かせない「衣・食・住」。この内の一つ「衣」の神様が、建葉槌命です。
「しず織り」という織物(技術)は、物資の少ない時代に大変貴重なものであったと思われ、ゆえに全国に建葉槌命をお祀りしている「しとり・しどり」または「しづり・しづ」に関連する神社が多く見られるのでしょう。
 この「しず織り」の織物そのものやその技術は、今では明確に残っているわけではなく、あまり知られてはいませんが、建葉槌命は現在の「衣料業」や「アパレル業」、また、「ファッション」の神様と言っても過言ではないと思います。
 当神社は、とかく御祭神の大国主命(大己貴命)のラブロマンスで注目されがちですが、オシャレやファッションに興味のある皆さんも、一度この建葉槌命のご神徳を頂戴するようお祈りを捧げてみてはいかがでしょう。

○大和(やまと)について
 ここ鳥取市倭文の周辺は、鳥取市の大和地区といわれています。以前は大和村と称していました。
 倭文の「倭」も「やまと」と読み、「大和」あるいは「倭」はいずれも「日本国」そのもののことであったり、大和王権のあった奈良地域のことであったりします。
 なぜ、この地方は「やまと」という呼び名になったのか?無論、建葉槌命の子孫である大和国葛木地方に本居を有した機織を業とする倭文部の部民が当地に来住して倭文郷とし祖業を継承したことから、故郷・大和の地名をつけたものではないかと単純に解釈はできます。
 しかし、どちらかというと、ヤマト王権よりも出雲地方の影響の方が大きく、当神社も出雲大社ご祭神・大国主命をお祀りし、江戸時代には大国主命にちなんだ「七躰大明神」と称していましたし、おしなべて他の神社も出雲王朝の影響の強い神社が多くみられます。
 「国譲り」をしたとはいえ、かつて敵対関係にあった「大和王権VS出雲王朝」、その微妙な関係が出雲からそう遠くないこの地にあえて「やまと」という地名をつけた由来に関係するとすれば、その歴史ロマンにいろいろな空想が湧いてきてとても興味深いものでもあります。

○平成8年に「倭文」とみられる絹織物が見つかる
 平成8年に、日本特有の織物とされながら、実物が確認されたことのない「倭文(しどり)」とみられる絹織物片が、奈良県天理市の下池山古墳(三世紀末、前方後円墳)で出土の大型鏡に付着していたと県立橿原考古学研究所が発表しました。
 これは、考古学的価値のみならず、魏志倭人伝にある卑弥呼が魏に献上したと伝える「班布(はんぷ)」にもあたるかもしれないとして、邪馬台国大和説の有力な材料であるとして論争にも波及しているそうです。
 「しず織り」の謎を解く糸口となるこの発見をもとに、倭文部のルーツが明らかになるとともに、いつの日か倭(日本)特有の文様・織物とされる「倭文織り」が復活する日を心待ちにしたいと思います。
平成8年7月12日付け
日本海新聞より→こちら(jpg)
  

 

拝殿
御扉

information神社情報

倭文神社

〒680-1151
鳥取県鳥取市倭文548-1
FAX.0857-28-8343
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