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鳥取県鳥取市円通寺に鎮座する「まはたぎ」神社です

〒680-1144 鳥取県鳥取市円通寺1043-3

お知らせinformation

真幡木神社勧請について

夏祭大祓い

なぜ上賀茂神社の御祭神「別雷命」をご奉斎する「真幡木神社」と称する神社がこの地にあるのかは、明確な答えは見つからない。全国に「マハタギ」又は「マハタキ」と発音する神社は珍しく、あまり見当らない。
現在、京都市伏見区にある「城南宮」の摂社として「真幡寸(マハタキ)神社」がある。ご祭神名は不詳のようだが、延喜式神名帳に、「山城国紀伊郡 真幡寸神社二柱」とある式内社で、日本紀略(平安末期頃成立)の嵯峨天皇・弘仁7年(816年)7月条に、「山城国紀伊飛鳥田神・真幡寸神官社の例に預り、並びに(共に)鴨別雷神の別也」とあり、別雷神が真幡寸神社の御祭神であると推測される。
また、日本の神々5(城南宮の条・2000)には、「真幡寸神社の創建年代は不明であるが、平安遷都(794年)以前より当地一帯を勢力下においていた秦忌寸氏(ハタイミキシ)の氏神として、鳥羽郷真幡木里に纛神(ハタ神orハタホコ神)を祀ったのがはじまりとされている」とあり、古代の朝鮮半島からの渡来豪族・秦氏が建てた神社という説もありる。真幡木の「ハタ」幡は、「秦氏」からきているのかもしれない。つまり、真幡寸神社二柱とは、別雷命と纛神のことではないかと思料される。
真幡寸神社は、今は城南宮の摂社となっているが、式内社調査報告に「明治維新後、式内真幡寸神社の古名に復し(明治10年・1877年)府社に列していたが、今時大戦後再び城南宮と改称(昭和27年・1952年)、真幡寸神社は境内摂社として城南宮本社社殿の東隣に一画を劃して奉祀されるようになった」とある。昔は城南宮と真幡寸神社とは同じ神社との認識があったと推測されるらしい。
この城南宮の御祭神三柱の中には、神功皇后がお祀りされている。神功皇后といえば、第15代応神天皇・譽田別命の母親で三韓征伐で有名。そして、当真幡木神社に合祀されている御祭神の一柱はは、譽田別命である。
何れも推測の域は出ないが、当神社が京都・上賀茂神社鎮座の御祭神・別雷命をご奉斎し、同じ御祭神をご奉斎しているであろう京都・真幡寸(マハタキ)神社との名のつながりがあること。また、真幡寸神社は朝鮮半島渡来豪族・秦氏の建立という説があり、昔は同じ神社とされていた城南宮の御祭神は、三韓征伐で朝鮮半島とつながりのあった神功皇后であり、当神社には、その皇子・譽田別命が合祀されていること。(全国の八幡さまには、譽田別命と神功皇后は一緒に祀られていることが多い)何となくだが、真幡木神社勧請の由来が見えてくる。
(文中、「戸原のトップページ(山城の式内社/真幡寸神社)」より引用させていただきました)


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真幡木神社

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鳥取県鳥取市円通寺1043-3